心療内科・精神科
東京都中央区
日本橋人形町
1-1-21
人形町ビル3F
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大切な「八つの変化」


 不安障害やストレス障害を克服するには、症状の元となる「主観的体験への執着」から解放されることが必要です。ここでいう主観的体験とは恐怖記憶に基づく直感です。主観的体験は不快感を伴い認知、行動、感情、身体に影響を及ぼし、これに執着すると健康的、経済的、社会的、道徳的価値観などを歪曲して自己実現を妨げます。「主観的体験への執着」から解放され「素直で自由な心」となるためには、認知、行動、感情、身体、それぞれに働きかけるのではなく、生活習慣自体を変化させ、実体験を通して克服することが重要だと考えております。当院では、患者様に、以下の「八つの変化」を生活指針として実践することをお勧めしております。


○気分本位から、自己実現に向けた目的本位の行動へ

  気分は内的や外的な要因によって常に翻弄される不安定なものではありますが、人間の考え方や行動は、この気分によって大きな影響を受けます。その時の気分によって、積極的になったり、消極的になったりすることを、日常的に実感することは多いのではないでしょうか。また、否定的な気分(不安、緊張、抑うつなど)を避けるために必要な行動を避けたり、肯定的な気分(安心、平穏、爽快、快楽など)を得るために、意味のない行動や、時に不利益となる行動さえしてしまうことがあります。このように気分によって行動が支配された状態を気分本位と言います。
  自己の目的を実現しようとしたときには、実現への願望と不快感をともなう主観的体験(例えば失敗のイメージなど)が現れます。このとき気分本位になると主観的体験に執着してしまい、まず不快感をなくすことが目的実現への近道だと考えてしまいます。気分さえ楽になれば、目的はたやすく実現できると勘違いしてしまうのです。しかし実際は、一時的にただ楽になりたいという行動が中心となるために、決して長期的な目的である自己実現にはつながりません。自己実現を図ろうとすれば、その目的の大きさに従って主観的体験による不安や緊張が大きくなるのが自然であり、避けることができないからです。
  気分本位となって、不安や緊張などを心の中でやりくりしようとすると、最悪な事態を想定して悲観的な考えを強めたり、反対に万全の状況をもとめて完璧主義、理想本位をもたらしたりします。これらは現実を歪曲したものであり、かえって否定的視点を強めて失敗への不安を増幅させます。さらにこの不安を弱めようと様々な努力すればするほど不安への意識が強まりとらわれてしまいます。その結果、目的が実現できないばかりか不快な気分を催す対象を避けるようにもなってしまいます。
  目的を実現させるためには、不快な気分はそのままにして、実現への願望に素直に従い目的本位に行動することが必要です。現状を正しく認識して、思い通りにならないことも素直に受け入れると、肯定的な視点が生まれて、目的を実現するために今大事なことが見えてきます。大事な目的を意識の中でとらえ続けることができれば迷うことなく自由に行動でき目的が実現できるのです。目的を意識の中でとらえ続けることができれば、あたかも戦いの最中に痛みを感じないように、不快な気分はありながらも意識から押し出されて感じることがなくなります。 その結果として、内的や外的な要因によって生じる気分に流されることがなくなり心が自由になるのです。自己実現に向かって邁進できている時こそが、本来の安心した状態と言えるのです。
  このように気分本位か目的本位かによって、目的に向かってやり抜くことができるかどうかが決まるのです。この克服体験こそが「素直で自由な心」になるための方法であり、不安障害やストレス障害の改善において最も重要なものなのです(拙著「いつもの不安」を解消するためのお守りノート(永岡書店)をご参照ください)。


○完璧主義から、とらわれのない自然主義へ

 完璧主義は万全を求めて心の安定を図ろうとする態度です。これは欠点をなくすことへの執着を生みだして、大事なものあるいは可能性が高いものと、そうではないものとの区別をつかなくさせてしまいます。そして物事の優先順位を失わせ、全てを同等にコントロールしようとする不自然な行動も生み出します。しかも大事でないものや可能性の低いものの中にもコントロールが難しいものがあるため、完璧主義者はどうでもよいことに悩んだり、滅多にないことに不安になったりします。こうして大事でないものや可能性の低いものをコントロールしようとすることで意識の中が一杯になり、とらわれてしまうのです。とらわれが生じると大事なものや可能性が高いものまでも見失う危険があります。さらに自分では完璧にできないと思う事柄を回避するようにもなってしまいます。完璧であろうとして、かえって完璧からかけ離れた状態になってしまうのです。
  我々が暮らす人間社会はハード面、ソフト面においても人工物に囲まれています。このような状況が、環境を思うようにコントロールあるいは予想できるのではないかとの勘違いを引き起こすのではないでしょうか。このことは、人間社会の発展を促した一方で、うぬぼれを生み、人を完璧主義に陥らせる原因にもなったのではないかと考えております。実際は、人間関係だけをとっても、人種、国籍、性格、置かれている状況は多様なために予想は困難であり、さらにそれらが作り出した社会システムは複雑に連動して流動的なために、社会生活は思い通りにはならないのです。
  見方を変えれば、これはいたって当然のことです。人間も動物であるという視点に立ちかえれば、人間社会も自然の一部なのです。自然の中では、環境は与えられ、受容するものであり、それぞれの役割や能力に応じて、優先順位に従って行動するしかないのです。 だからこそ、今ある状況を自然環境ととらえて受け入れ、その中で優先順位をつけて、大事なものや可能なものから行動していくことが重要と考えます。自然界で適応できるのは完璧なものではなく、自然と調和したものなのです。


○理想本位から、真実を見失わない現実本位の考えへ

  理想は観念的なものであり、人間の頭の中で生まれるものです。それぞれの人によって内容は異なりますが、その人自身が作ったものであることは変わりません。自分自身が作ったものだけに、時に頭の中で現実と混同してしまい、実際に存在するかのように勘違いしてしまいます。
  その結果、理想本位になると理想という色眼鏡で真実を見誤り「こうあるべき」と無理なことを自身や周囲に求めてしまうことがあります。そのような行動は、真実によって構成される現実との軋轢を引き起こします。当然今ある現実にはかないませんので上手くいかず、かえって理想から遠ざかってしまい「こんなはずではなかった」と後悔することになります。その上、理想にとらわれると、出来ていないところばかりに目がいってしまい自信を失くしてしまいます。その結果、理想に到達できないと思うことを初めから回避したくもなります。
  だからこそ、理想は行動の指針にとどめて、真実をそのまま受け入れ、現実に従って今できる行動することが重要と考えます。その積み重ねこそが理想に近づく方法であると思います。


○内向的生活から、変化に富んだ外向的生活へ

  精神疾患は心の病ですので、精神の内側から生まれる主観的体験が治療の上で重視され、また患者様も主観的苦痛の改善を望まれます。しかし、不安の強い患者様自身が、精神の内側に意識を向けて内向することを、当院ではお勧めしておりません。身体感覚、感情、思考に良い影響を与えず、結果として自身の能力を最大限に発揮して目的を成就させるという自己実現につながらないと考えているからです。
  自己実現に向けた行動に伴う身体感覚や感情は、主に交感神経の興奮に伴う、動悸、呼吸苦、ふるえ、発汗、不安、緊張などです。これらは、内向すればするほど強くなり、目的とする行動を妨げたり、回避させたりしてしまいます。また、思考については、内向した際に浮かぶのは、過去と未来のことが中心となります。しかも主に浮かぶのは過去と未来への否定的な感情を伴った記憶や憶測であり、それによって抑うつや不安が助長されてしまいます。これらの内向によって生じた不快な身体感覚や感情を意識したり、意識から排除しようとしたりすることは、ますますそれらへの注意を高めて、身体感覚や感情を増大させます。結果的に意識を内向させることによって、不快な身体感覚や感情の増大による意識内の占拠が起こり、意識や気力が消耗され、現在目の前に起こっていることに意識を向けて対処することが困難となります。本来、早く簡単に安楽になりたいと、外側の現実を無視して、内側のみを整えようとするのは不自然なことなのです。まず、意識を外側に向けて現実を取り入れた後に、それに調和するかたちで、内側への意識が働くのが自然であると考えます。
  比較的新しいタイプの認知行動療法において瞑想、特に呼吸などに意識を向けた方法がありますが、意識を向ける対象が意味のあるものとは全く思えません。意識を内向させることや、たとえ外向させたとしても、本来無意識で処理されるような些細ものに注意を向けることが、普段の生活の上で重要とも思えないのです。効果についても自律訓練法のような自己催眠的なもの以上は望めないのではないかと私は考えます。一方、僧侶が宗教的な修行として行う瞑想は次元が違うもので、容易に真似のできるものではないと考えています。一般の人が世俗的な生活をしたままで、何か不思議な力を得て、簡単に楽になろうというのは修行と矛盾しており、何か悟ったように思ったとしても、せいぜい野孤禅や魔境と呼ばれるもので、勘違いの類でしょう。
  人間は基本的には同時に複数のことに真剣に意識を向けることはできないので、意識を内側ではなく外側に向けて、現在起こっている大事なものに意識を集中することが重要だと思うのです。また、意識を外向きにすることは、現実感を保ち、行動の活性化にもつながり、日々の工夫や発見の機会にも恵まれて心が豊かになるのです。日々の現実生活での実体験こそが心の栄養となるのです。そして、この体験を通して現実に調和した正しい自己認識が自然に生まれてきます。反対に現実生活での体験なしに意識を内側に向けてばかりいると、やがて心が栄養失調となり精神的に不健康になってしまいます。 これは物事を主観的なイメージでしかとらえられなくなった状態です。例えば周りの人にもそれぞれ苦しい思いがあることに気付かず、「自分だけが苦しい思いをしている」と自己中心的な誤った自己認識になるのです。また外向的生活を変化に富んだものにすると、日々の発見などにもつながるだけではなく、その時々の必要性に合わせて、注意を大事なものから、他の大事なものに移り変える訓練にもなります。その結果、頭からなかなか離れない現実的ではない強迫的な考えにとらわれることが少なくなり、自由になると考えております。


○引込み思案から、自尊心の回復につながる自己主張へ

  完璧主義や理想主義の人は、ともすれば引込み思案に陥りがちです。これは、周囲の評価を過度に怖れるからです。対人場面では、「こうあるべき」と思っても、相手の評価は思うようにはならないために怖くなるのです。このように周囲の評価を気にし過ぎてしまうと、自身を表に出すことを避けて、引っ込み思案になってしまうのです。その結果、かえって完璧や理想からかけ離れてしまいます。
  しかし、これほど気になる相手からの評価というのは、実際は相手の主観によるものであり正しいとは限りません。仮に相手から良い評価を得たとしてしても、本心からかどうかは分からないものです。また複数相手の場合には、全員から良い評価を得るというのはまれではないでしょうか。
  このように相手の評価は正しいとは限らず、本当の評価を知るすべもなく、そして誰に対しても良い評価を得るというのは現実的ではありません。また、できるだけ周りに良い評価を得ようとし過ぎると、迎合した内容になり、自分の考えから離れる危険もあります。 自己主張の機会を避けたり、周囲に迎合したつもりの内容で失敗したりすると、自信を失い自尊心が低下します。なぜなら、自信は、自分の考えや行動が自分や周囲に良い影響を与えたと感じられた時に生まれるものだからです。だからこそ、自尊心が低下しがちの人は、自己主張をして、できるだけ自分の考えを相手に伝えて、自信を得る機会をもつようにするべきだと考えます。自己主張には自尊心の回復以外にも、ストレスを溜め込みにくくなる、曝露療法的に人への怖れが軽減する、周りから主張する人との認識が生まれ、より主張しやすい環境が生まれたり、無理な要求をされなくなったりするという効果があります。
  自己主張をする時は、決して相手を言い負かそうとはせず、相手の意見と自分の意見を同等に扱って、一緒に検討することから始めるのが良いと思います。内容については、周囲に迎合せず、自身が大事だと考えることに絞ってください。それを伝えることを目的として、細かいことには注意を向けずに、目的さえかなえば良いという姿勢で臨んでください。自分が大事だと考えるものを伝えることを繰り返せば、自尊心は回復に向かうはずです。


○否定的視点から、希望を見出す肯定的視点へ

  どのような出来事にも、良い面と悪い面があるのが通常ですが、人は手に入れる喜びよりも、失う悲しさの方が2倍以上強いと言われていますので、どうしても悪い面に目がいきがちです。特に逆境におかれて気分が抑うつになったり不安になったりすると、悪い面ばかりに目がいってしまいます。この否定的視点はますます否定的感情を促進してしまい、悪循環を引き起こします。そして、抑うつや不安の中から抜け出せなくなり、「何もかも上手くいかない」などと全てが自分にとって否定的なものであるとの誤った認識が生まれ、身動きがとれなくなるのです。
  このような悪循環から抜け出るためには、今ある現状の中で少しでも肯定的な面を探して目を向けることが必要です。例えば、信頼できる家族や友人に相談するのは肯定的視点をみつける最も有効な方法でしょう。すぐに相談ができない時は、逆に同じ状況にある友人から相談されたときに、自分ならばどのようにアドバイスをするかと考えると、客観的な視点から肯定的な面を見つけやすいと思います。また、頭の中だけで考えると、今ある感情に影響されやすいので、現在の状況の良い面と悪い面を、それぞれ具体的に紙に書いてみることもお勧めします。
  肯定的視点により良い面が探し出せれば、悪循環がおさまって希望を感じることができ、問題解決への行動を起こせるようになります。


○持続的緊張から、活力を維持する間欠的弛緩へ

  社会生活は、ストレスであふれており、避けることはできません。一時的でかつ適度のストレスは、人間の成長において欠かせないものです。
  一方で、ストレスは様々な有害な心身の反応も引き起こします。その中でも交感神経の興奮と、それに伴う精神的な緊張は、特に苦痛が強いものです。ストレスは、一時的であっても、絶対的に過大なものであれば、急性ストレス反応や外傷後ストレス障害を引き起こし、その人にとって相対的に過大なストレスは、適応障害の原因となり得ます。
  これらの急性のストレス疾患は、ストレスによる反応によって、ストレスに対処できなくなる状態です。放置すると、ストレスに対処できないことによって、ますますストレスが大きくなるという悪循環が生じます。このような場合は、早急にストレス反応を対処できるレベルまで低下させるよう環境を整えることが必要になります。
  また持続的なストレスは、慢性的な精神疾患である不安障害やうつ病などの要因となります。これらの慢性のストレス疾患は、ストレスによる反応に耐えているうちに、不安が慢性化したり、消耗によって活力がなくなり抑うつが現れたりした状態です。仕事を成し遂げたいと無理をした結果、かえって成し遂げることができなくなってしまうのです。このような状態になる前に、ストレスによる緊張をなるべく頻繁に弛緩(リラックス)することが大切です。
  現代社会では、忙しい人ほど、睡眠時間やリラックスする時間がとれない状況であり、そのことがうつ病をはじめとする精神障害を増加させている要因の一つと考えております。持続的にストレスがかかっている時には、意識的に睡眠を多くとったり、気分転換やリラクゼーションを行ったりして、気持を弛緩させて活力を維持することが重要と考えます。このような時間が取れない場合は、仮眠、ストレッチ、マッサージ、音楽、アロマ、腹式呼吸など、仕事の合間や、その最中にでもできることを行うのが良いと思います。
ストレスによる持続的緊張は、徐々に活力をうばい、容易には回復しない精神障害を引き起こしますので、活力を維持するために間欠的に(断続的に)弛緩できる工夫とその方法を身につけることが必要と考えます。


○精神的支柱を1本柱から、動揺しにくい複数の柱へ

  一つのことに打ち込むということは素晴らしいことです。スポーツ、芸術、学問、仕事などに打ち込み、偉業を成し遂げる姿には感動を覚えます。彼らの能力と業績への賞賛の気持ちと同時に、彼らが自身の時間、精神、身体の殆どを、一つのことに注いで成し遂げてきた強い精神力への感動があるのです。
 しかしながら、自分自身を一本柱のみで支えることには、例えそれが太い丈夫なものであったとしても不安定な危うさを伴います。柱が1本の場合、突然強い衝撃が加わったり、気付かないうちに傷んだり、害虫がついたりしてしまうと、1本しかありませんので、どうしても基盤を揺るがすような動揺が起こるのです。たとえ、その時は上手く行っていたとしても、同じ状況にいる限りは常に危うさを持ち続けるのです。結果として、一つのことに打ち込んだものの上手く行かずに、自分のアイデンティティーを見失ってしまうようなことも少なからずあります。
  ありふれた社会生活においても、仕事や恋愛などの1本柱で自身を支えて生活してしまう方も多いのではないでしょうか。仕事に打ち込み、健康、家庭、友人、趣味などを犠牲にしたり、交際相手に夢中になって、仕事、友人、自分さえもないがしろにしてしまう方もいらっしゃいます。これらはそれぞれに依存してしまった状態です。仕事や恋愛が上手くいっているうちは良いのですが、どちらの柱も自分の力だけでは揺れるのを防ぐことはできません。一旦揺れが始まると他に支えもないので、直接的に本人を動揺させます。そうなると、動揺を防ぐために、ますますその柱を支えるためにエネルギーを費やし消耗してしまい、かえって不安定な状況が悪化します。これらは、1本柱が、唯一自分を支えているものであるとの勘違いから起こることです。しかし、私たちは、一つのことにとらわれている時はあまり自覚できませんが、実際は、健康、家庭、友人、趣味など複数の柱で支えられているのです。一つのことだけにとらわれている時は、それらの他の柱は細くなってしまってしまい意識できないだけです。
  どのように太い柱であっても、揺れてしまい、どうにも抵抗できないことがあります。そのような場合は揺れが治まるのを待つしかありません。その柱の揺れになるべく影響されないようにするためには、これまで細くなっていた柱を強化して、代わりに支えられるようにすることが大切です。例えば、家族関係を大切にしたり、友人と会うようにしたり、運動や趣味を再開したりするのが良いと思います。前述のように1本柱の揺れを防ごうとしてかえって動揺が悪化するのは、エネルギーが消耗してこれらの他の柱に行き渡らないからです。このような状態では、他の柱がますます細くなって、自身を支えられないのです。柱の太い、細いはあっても、日ごろから複数の柱を意識してバランスをとり、一つの柱が揺れ始めても、他の柱で支えて自身が動揺しないようにしておくことが大切です。
  複数の機能的な柱を持つことが、ストレス耐性を向上させるためにも重要になります。人は様々な結びつきの中にあってこそ、安定して過ごせるのです。

院長・医学博士  勝  久 寿